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タテマエで信じても救われる?    聖書とニッポン文化

皆さんは「日本でクリスチャンが1%なのは、なぜか?」ということを考えたことがあると思います。原因はいろいろですが、私は原因の一つがニッポンの習慣「ホンネとタテマエ」だと思っています。

 聖書はこれについて何と言っているでしょう?本日はニッポン文化の一つ「ホンネとタテマエ」について考えてみたいと思います。

1.マタイ23章の中のニッポン文化

 マタイ23章は、イエス様がパリサイ人を厳し~く叱責する有名な箇所です。これを見るとまるでニッポン文化のことを言ってるように感じるのは私だけでしょうか?皆さんもぜひ、日本の生活と照らし合わせて考えてみてください。

 3-4節:「だから、彼らが言うことは、すべて行い、また守りなさい。しかし、彼らの行いは、見習ってはならない。言うだけで実行しないからである。」マタイ23:3

口では良いこと(タテマエ)を言っても、行動しない(ホンネ)、、、イエス様はこれを偽善つまり嘘と呼んで、厳しく叱責しています!

 5-12節:「そのすることは、すべて人に見せるためである。~、衣の房を長くしたりする。~上席に座ることを好み、~『先生』と呼ばれたりすることを好む」同23:5-7

人に見せる外側、見栄え、体裁を重視し、内側や本質を軽視することを偽善として、厳しく叱責しています。「先生」と呼ばれてはいけない(マタイ23:8)のに、牧師を先生と呼ぶのが普通ですし、どの団体でも偉い人は「~先生」と呼ばなくては、、、という空気(同調圧力)があります。

 13-15節: 「あなたがたは、改宗者を一人つくろうとして、海や陸を巡り歩くが、改宗者ができると、自分より倍も悪いゲヘナの子にしてしまう。」同23:15

権力に忠実なのは基本いいことですが、権力が間違っていても、従わせて、過ちを犯させてしまうと悲劇になります。組織、伝統、常識、権力には従わざるを得ない、という空気(同調圧力)が日本全体にあると思います。

 16-24節:「ものの見えない者たち、供え物と、供え物を聖別する祭壇と、どちらが尊いか」同23:19

日本では、匠の技に代表されるように「細やかなこと」をとても大切にします。すると小さい事が大きな事より大切だとなりがちです。いわゆる本末転倒となって、問題が出てきてしまいます。聖書では「優先順位」がメチャクチャ重要です!

 タテマエ、見栄張り、優先順位の逆転は、聖書で偽善、嘘、罪なのです!

 これをパリサイ人のこと、、、とスルー出来ますか?いいえ他人事ではないです!

2.ホンネとタテマエとは?・・・・空気(同調圧力)に合わせるための手段

ここで、ウィキペディアで、ホンネとタテマエを調べてみましょう。

***(Wikiより抜粋)*************************

本音は、同義語には「本心」が挙げられ、自身に対する偽り(嘘)を含まない。本音は、表に出すことで批判を受けたり外聞が悪かったりする場合もあるので、表現を穏やかにしたり、批判を受けそうな個所を隠したりする。その結果として表にあらわされるのが建前である。

*************************(Wikiより抜粋)***

以上のようにタテマエとは、まわりの空気(同調圧力)に対応するため、自分の本心を曖昧に表現したり、隠したりすることだそうです。そして、そのホンネとタテマエを使い分けることできる人が「大人」であり、良いこととされているのです。これって恐ろしくないですか?聖書で言う偽善を良いこととしているのです。

そして日本人は、タテマエを優先し過ぎてホンネが見えなくなることが多いそうです。これは、とても危険なので、気をつけましょう!

3.教会の中のホンネとタテマエ 

 さらに深掘りしていきます。教会の中はどうでしょうか?

 結論から言うと、残念ながら教会にもホンネとタテマエが存在していると私は思っています。では、信仰の根幹ともいえる重要点について、お尋ねします。皆さんは、、、 

  

  ①ホンネで、自分が「地獄に値する罪人」だと信じましたか?

 一般の日本人は、自分は天国に行くと何となく信じています。いわゆる犯罪レベルの罪は犯していない人がほとんどだからでしょう。

 知り合いの中には、信じて何年もしてから自分が罪人だと心で分かり、ホンネで悔い改め、その時クリスチャンになったという人が結構います。

  ②ホンネで、「十字架の身代わり」を信じていますか?

 よく災害で、生き残った人は亡くなった人に対して罪悪感を感じると聞きます。まして私達は真実、イエス様を「殺した」のです(使徒2:36)。私はそのことをつい最近まで、ちゃんとわかっていないことを聖霊に教えられ、悔い改めました。

  ③ホンネで、イエス様を「主」と告白しましたか?

 「主」とはご主人、完全服従する方です(目指すということ)。この「主と告白」がタテマエになっている人が多いです。どちらかというとご利益信仰、神を利用する信仰だと感じるのです。 私も、初めはそうでした。ある日これを悔い改めてイエスを主とホンネで信じた時、ホンモノのクリスチャンになれました。

  ④ホンネで、聖霊様が内住していると言えますか?

 使徒19:1~でパウロは「信仰に入ったとき、聖霊を受けましたか」と言うと、彼ら(アポロ達)は、「いいえ、~」と言ってます。バプテスマの種類を間違えたからです。

 このように信じた内容や儀式の違いで聖霊が内住しないことがあるのですが、教会ではこれをまともに取り上げません。まさしく「聖霊内住」がタテマエとなっているのではないでしょうか?天国と地獄を分ける最重要問題なのですが。

  ⑤ホンネで、周りの日本人が「地獄に行く」と心配していますか?

  これは伝道に関してですが、私が罪悪感を感じるのが、親戚、職場、近所、友人に伝道できていないことです!伝道しても受け入れない時は私達の責任ではありませんが、トラクトを配るぐらいまでは私達の責任です。多くの人は、この点について教会まかせとしか思えません。しかし伝道は全ての信徒の責任です。(マルコ16:15)

つまり、①~⑤のような信仰の根幹について、教会の中にタテマエが空気のように蔓延しているということです!どれかがタテマエの場合、救われていない可能性があります。これが、個人の問題ではなく、その教会、教団の空気(聖書に反した常識)となっていることもあります。

現実を見つめましょう!

4.教会の空気(同調圧力)から自由になって、聖書に従う

 教会のタテマエの空気(聖書に反した常識)に少しでも気が付いたら、ぜひ、それをかなぐり捨てて、自由になってください!そして、今度は聖書に従ってください!以下をお勧めします。

・聖書を自分の目で読む・・・教会の解釈を一旦横に置いて、新旧約の通読をする。

・祈る・・・私に何を語っていますか?と教会ではなく、聖霊に答えを求める。

・悔い改める・・・私の中の聖書に反したニッポン文化は何ですか?と問い、示された罪を悔い改めていく。

・話し合う・・・一人で考えるより、信頼できる仲間と話し、祈り合うとさらにgood!

・行動する・・・聖霊に語られたことを初めの一歩だけでも行動してみる!すると2歩目も見えてくる。このように神様は荒野に道を設けてくださいます!(イザヤ63:19)

教会の常識から外れたことや、今までの自分と別れることも覚悟してください。

大丈夫です!

神様は、弱い私達や日本の難しい状況をよくご存じなので助けてくださいます!

5.ダニエル9章の祈り

 今回のように、日本全体にかかわる「タテマエ」のような罪について考えていると、ダニエル9章の祈りを思い出します。ダニエルは、イスラエルがバビロン捕囚されたのは、神に背いた結果であることを悟り、イスラエル全体の罪を自分の罪として、悔い改めているのです。この祈りを読むと私も日本のイスラエル(クリスチャン)の罪のために祈りたくなります。

「神よ、耳を傾けて聞いてください。目を開いて、わたしたち(日本)の荒廃と、御名をもって呼ばれる都(教会)の荒廃とを御覧ください。わたしたちが正しいからではなく、あなたの深い憐れみのゆえに、伏して嘆願の祈りをささげます。主よ、お聞きください。主よ、お赦しください。主よ、心を向けて御業を行いください。わが神よ、ご自身のゆえに救いを遅らせないでください。そうです、あなたの都でも、あなたの民の間でも、あなたの名は呼ばれているのですから。」ダニエル9:18-19

ご自分の信仰にタテマエはありませんか?

 
 
 

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